歴史散歩 11
淀橋を歩く ─ 参加者が探す池・水路の痕跡
神田上水助水路をたどって淀橋にたどりつけるか?
11月17日(土) 集合 JR新宿駅 西口交番前 10時
新宿西口 → 十二社池跡 → 助水路 → 淀橋 → 中野坂上 → 妙法寺 →
中野駅 解散3時ごろ
もちもの:飲み物/歩きやすい靴と服装で/(昼食は店に入ります)
参加費:1000円(シビル会員は800円) 高校生500円
案内人:福田 恵一さん(中学校社会科教員)
☆申し込み用紙はコチラから
★お問い合わせ/申し込み シビル1階事務室(月曜〜土曜 午後1時〜7時)
電話:042-524-9014(担当 こうの)
メール:civiltachikawa@yahoo.co.jp
案内人からの一言
「淀橋」というとどこを連想しますか? 玉川上水関連で地名を連想する人は新宿西口の西にあった淀橋浄水場を思い浮かべるのではないでしょうか? 私もずっとそうでした。
実は、淀橋は新宿追分で甲州街道と分かれた青梅街道が、神田川を渡る、文字通りの橋で、今の駅名で言うと、東京メトロ中野坂上に近いところにあります。でも江戸期には、その淀橋に向けて玉川上水から助水路がつけられており、言わばその助水路のスタート地点に淀橋浄水場が作られたのです。
この助水路の神田川の出口には、淀橋の大水車がかけられ、製粉が行われ、そのようすは、「江戸名所図絵」にも描かれています。中野はさまざまな粉の集散地でもあり、「中野そば」も有名だったとか。また、幕末にはこの水車で火薬が挽かれ1854年には爆発事故も起きています。
その助水路のすぐ西には、十二社(ジュウニソウ)の池があり農業用のため池に利用されるとともに、江戸〜明治にかけては行楽地としても有名だったとか。1965(昭和40)年の淀橋浄水場廃止のあと1968(昭和43)年に完全に埋め立てられました。
今回は、新宿西口をスタートして、今はなき、淀橋浄水場、十二社の池、神田川(神田上水)への助水路、を、地形、痕跡を求めて歩いてみよう、というもの。
なお、今回は、淀橋浄水場跡をのぞいて、案内人である私も下見はしません。もちろん、あらかじめ情報は集めておきますが、実際に行って、みなさんとそれらの痕跡を探してみようというやや無謀?なミステリーツアーにしたいと思います。果たして、助水路をたどって淀橋にたどりつけるでしょうか?!