多摩の在村文化
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(文芸社) |
講師 多田 仁一さん プロフィールはこちらへ
第1回 11月18日(土) 朝鮮通信使と熊川村名主家 講座概要
第2回 12月16日(土) 村に成立する文化 講座概要
第3回 1月20日(土) 人々とともにある不可思議 講座概要
第4回 2月17日(土) 動揺する幕末の社会 講座概要
第5回 3月16日(土) 村に成立した文化のその後 講座概要
時 間 14時00分〜16時30分 (開場13時30分)
場 所 シビル3階 (地図)
参加費 1回 1000円(会員 800円)全回前納:4500円(会員3500円)
定 員 30名 (要予約 予約方法は下記)
「在村文化と近代学校教育─多摩地域の事例から─」(多田 仁一著 文芸社)より一部抜粋
…現在考える在村文化についての概念をまとめてみると、…次のように言うことができる。
その1 在村文化の担い手は、村役人層、豪農、在郷商人、名望家等と呼ばれるような文化的力量を持ち得る富裕な指導層、もしくはこれに連なる僧侶、神官、医師等であり、これらを上層農民と呼び得る。また、彼らは経済的、社会的に主導的立場を占めており、背景に経済的交流、社会的交流を持ち、文化交流の基盤となっていた。
その2 在村文化の始期は、「その1」の上層農民が、特に経済的に形成される一八世紀中頃の宝暦・天明期にあり、これを具体的な文化交流圏からみると、白雄による俳諧交流圏として捉えることが可能であった。…
主催:市民の学習・活動・交流センター シビル
立川市柴崎町3-10-4 電話:042-524-9014
メール:civiltachikawa@yahoo.co.jp
予約受付開始:10月2日(月)14:00〜(定員に達し次第、受付終了)
予約は、電話かメールでお願いします。
受講料は予約後に郵便振替で送金するか、当日受付で支払って下さい。
(郵便振替口座) 00170-0-481827 シビル運営委員会
(メールで申し込まれた方は、返信メールの確認後に振込をして下さい)
多田 仁一さんのプロフィール
中央大学人文科学研究所客員研究員 多摩川流域史研究会員
福生市などの文化財保護審議会委員 元中央大学特任教授 元都立高校教員
一般社団法人 市民の学習・活動・交流センター
シビル
tel
042-524-9014 fax
042-595-9431 立川市柴崎町3-10-4
【各回の概要】
(各回とも土曜日、会場:シビル3階、時間:14時00分〜16時30分)
第1回 11月18日
朝鮮通信使と熊川村名主家
……朝鮮や江戸の文化を村にもたらした名主たち
江戸時代は海外との交流が鎖された時代というイメージが強いですが、朝鮮通信使が江戸に派遣されるなどの交流もありました。多摩地域の名主のなかにはその朝鮮通信使一行に接した者もおり、地域の歴史を東アジアの視点からも見ることができます。また、大都市江戸の影響を受け、多摩地域の村落にも「宝暦・天明期の文化」が見られました。
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福泉舎友甫の画像 「海ちかく夜明る町の余寒かな」の句が記されている。
(鴫立庵宋匠評『初心俳諧百人集』安政5年、国立国会図書館蔵) |
第2回 12月16日
村に成立する文化
……名主は村の俳人
19世紀、村々に広がった文化を私も在村文化と呼んでいますが、この文化はどのようなものか多摩地域の俳諧を通じて理解したいと思います。登場するのは、玉石館梅里(福生市石川酒造家ご先祖)、福泉舎友甫(同市田村酒造家ご先祖)や横浜の代表的な俳人松原庵友昇(福生出身。横浜で商業に従事し、友甫と交流)です。また、多摩の俳諧を俳壇の系流からも把握します。
第3回 1月20日
人々とともにある不可思議……「おばけ」がまだいた時代
村々で在村文化を受容したのは主に上層農民らでしたが、一方には在村文化とは距離を置き、旧来の習俗的な生活をつづける下層農民らも存在していました。そして、この時代の村社会では不可思議な現象(世界)が村人に認識されるのですが、在村文化を受容した上層農民らは次第にこれらの現象に違和感や疑問を抱くようになり、現象を対象化して記録しました。その後、不可思議な現象は合理的な近代化のなかで消えて行きました。
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一知という俳人が、松原庵の主を継承し、六世になったことを披露するため発行された選句集の表紙。
「累世松原庵追福松原菴立机披露」の文字がある。(明治31年、多田仁一蔵) |
第4回 2月17日
動揺する幕末の社会
……開港による経済活性化と政治対立で社会が不安定化
19世紀になると多摩地域も階層分化が進んで不安定になり、開港を迎えると村落社会の動揺は激化しました。これに対応したのが村落指導者層であった上層農民で、その規範意識を支えたものが在村文化(特に儒学規範)でした。
第5回 3月16日
村に成立した文化のその後
……俳諧は「発句物臭馬鹿太鼓」といわれ、時代おくれに
明治時代以降、在村文化は消失し、今日のような近代(西洋)文化が受容された時代を迎えますが、この展開を在村文化の象徴である俳諧から「俳句」への変化によって確認したいと思います。