歴史散歩 ─ 武蔵野はどこからひらけたのか
狭山丘陵の谷戸田を歩く
山の中の谷戸田は田んぼのふるさと。
小平の小川村を開いた小川九郎兵衛の出身が狭山丘陵の岸村です。
10月30日(日) 集合 JR八高線箱根ヶ崎駅 改札口10時
八高線拝島駅9時52分発←青梅特快立川発9時35分
八高線八王子発9時38分 西武拝島線玉川上水発9時35分
★電車の本数が少ないのでご注意ください。
解散 武蔵村山市役所前で3時ごろ
バスで立川や玉川上水に帰れます。
もちもの:飲み物/軽食/歩きやすい靴と服装で
参加費:1000円(シビル会員は800円) 高校生500円
案内人:福田 恵一さん(中学校社会科教員)
☆申し込み用紙はコチラから
案内人からの一言
江戸時代のはじめまでほとんど人が住んでいなかった武蔵野台地に比べて、狭山丘陵の山ふところには古くから人が住み、集落をつくってきました。大きな川の流域の平地では、川が一番低いところを流れているので、田んぼに水を引くのは簡単なことではありません。
また、洪水が起これば流されてしまうかもしれません。川に高低差のある小さな谷戸は、大規模なダムや堤防を作らなくても、板や石ころ一つで水位を調節できます。つまり、農民の力でつくる田んぼは山の中の谷戸田を出発点として、大きな権力や治水技術の向上とともに、しだいに平地に下りてきたのです。
1654年に玉川上水が引かれると、すぐにその水を利用した新田が開拓されました。狭山丘陵岸村の小川九郎兵衛が青梅街道沿いに開拓したのが小川村、小川村のある平らな場所として明治期に「小平」という地名が名づけられました。つまり、小平の小川村と村山の岸村は、親村と子村の関係にあります。
青梅街道を岸の交差点から谷戸に入り、宮の入谷戸に復元された里山民家で昼食にします。コンビニおにぎりでよいので、かんたんな昼食をご用意ください。