シビルは門を閉じません
コロナウイルス感染騒ぎがおさまりません。政府・東京都・マスコミをあげての自粛ムードの中、「自粛」という名の同調圧力も大きくなっています。
そのムードや、その後の世界には大変危惧を感じます。
まず、「自粛」「感染」が差別につながっているということ。「自粛」の標語はほとんど戦中の「欲しがりません勝つまでは」と同じで、渋谷でデートの高校生やパチンコ屋に並ぶ人は「何も考えない、しょうもない奴」とたたかれます。医療関係者の子どもが保育拒否されたり、感染したテレビ局アナウンサーの謝り方にも異常さを感じました。
そして、その逆に「権力者による強い規制」を求める声の大きさ。もちろん、そこには「命令をした分、きちんと保障を」という経済的理由もあるのでしょうが。そのうえ、それを利用した「緊急事態」を盛り込んだ改憲論議ももくろまれています。
まだまだ、それ以外にも危惧はたくさんあります。
私たち市民の武器は、集まること、話し合うこと、スクラムを組むこと……。それらは、オンライン○○では、とても補えません。今、それが奪われているのです。
だからといってシビルが「自粛はしません」、「これまで通りに講座もイベントもやります」とは言えません。ただ、門を閉ざすことはしまいと。いま、何かやらねばならない人(たち)、やろうという人(たち)がいるなら、そこへの会場の提供は続けていきます。(福田)